熊本の写真界の巨匠と云っても過言でない人だった。
告別式の祭壇は氏が最も愛した阿蘇の五岳を花で描かれていた。
雲海の撮影も、火文字焼きも、中岳に米塚等々こよなく阿蘇を被写体にキャンピングカーで
寝泊まりして撮影されていた。
急な病で思ってもなく再起が出来なかった氏はさぞや無念だつたろう!
天草パールラインマラソンは初回から昨年まで84才の高齢で走って居られた強靱な氏であった。
おしどりご夫妻であったが奥さんに先立たれ何時も一人で撮影旅行されていた。
祭壇には数々の遺作が飾られていた。
中岳の火口や往生岳の火文字も菊の花で作られ氏も満足されたであろう。
天国の奥さんが呼ばれたか!又お二人で幸せな新生活が雲の上で始まることでしょう。
永久にお幸せに!
合掌